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「柳田国男年譜」補遺 今西錦司との関係

今月の朝日カルチャーセンター立川教室の遠野物語講座を終えてきました。

今回は、「はじめての『遠野物語』⑤ 狼の話と今西錦司」で、『遠野物語』を座右の書としていた今西と柳田の群狼と孤狼、狼絶滅期に関する分析の違いなどをおさらいしたのですが、その過程で「柳田年譜」で落としていた事項があったので補遺として発表いたします。

拙稿「柳田国男年譜」のなかに登場する今西錦司は一か所のみで、「昭和16年1月12日、木曜会で「狼史雑話」に関する今西錦司氏の批評を紹介する。」だけでしたが、京都大学の菊地暁氏によって次のことが明らかになっていました。「柳田国男の会」でも聞いていたことなのに落としてしまっていました。

昭和9年5月28日の京都帝国大学民俗学会で「山村調査について」を講演するのあとに、「この講演を今西錦司が聴いていて、興味をもち「採集手帖」を購入する。」が入ります。

もっとも、この追加は、柳田のことではないし、柳田から「採集手帖」を買ったわけでもないので、「柳田年譜」に絶対に入れなくてはならないものではありません。

ただ、今回反省していることは、「昭和16年1月」の木曜会で、柳田が今西の批評を紹介したという後に、「今西の一配偶生活説を基本とした群生活の特殊・変態なる場合とする説」への批判があったと入れるべきでした。

戦後、今西が『遊牧論その他』で発表した柳田の仮説批判の芽について、柳田が早くから意識していたことに、今回初めて気づきました。

以上、大切な二か所の補足でした。