田山花袋と柳田の関係を追っていた「醒余贅語」さんから新情報の提供がありました。
柳田国男の第一高等学校時代の新資料です。
『運動界』という雑誌に、松岡国男の同級生で一高ボート部の友人たちが利根川を下り、布佐にいる
国男を訪ねたという記事が載っているとのことでした。
「銚子港遠漕日記」とか「遠漕日記」というもののようです。
柳田の一高時代の様子は、友人との回覧誌や数少ない思い出話、寮日誌くらいしかなく、ましてや
体育会系となると柔道部の記事がひとつあるだけでした。
これは、柳田がボート部に所属していたわけではありませんが、その友人たちと親しく交流していたことがわかる貴重な資料です。
24日に両国から漕ぎ出し、小名木川から江戸川、墨田川、できたばかりの運河から利根川に出る。
26日に布佐に着き、帰りに寄ると国男と約束して、印旛沼にでる。
帰りは28日。夕方、布佐の松岡家に寄り、鼎と国男の歓待を受け泊まっている。
詳しくはブログを見てください。
ということで、「柳田国男年譜 明治28年12月24日 布佐に帰る」のあとに次のように加筆することが
できます。
「12月26日 松本丞治、高木安太郎、岡戸諭介、関口健一郎ら一高端艇部の友人たちが、利根川を下って銚子まで行く途中で布佐に上陸し、帰りにも寄ることを約して別れる。
12月28日、雨のため佐倉から戻ってきた友人たちを迎えて、布佐の鼎宅に泊める。」
少し文章がおかしいですが、興奮のあまりです。
「醒余贅語」さん、ありがとうございました。
今後ともよろしお願いいたします。