出雲の神魂神社を「カモス」と呼ぶことについての柳田の指摘を紹介しましたが、その続編です。
昭和27年の初め、神魂神社の社殿が国宝に決定される前後のことです。
大森義憲の沖縄調査によってわかったと述べていることを受けて、調べてみました。
大森の沖縄調査は昭和9年で、その時の採集ノートや日記を柳田の求めに応じて提出したのが昭和26年のこ
ととされています。
柳田が新発見と言いますが、「カムス」と「神魂(カモス)」を結びつけたことが発見であったわけです。
成城大学民俗学研究所の『諸国叢書』第13輯の「大森資料 先島採集」から引用します。
「カムズ
一週間昼夜こもる。こもり御願と言ってゐる。一年に二回やってゐる。乗瀬御嶽 家から御馳走を持って行
く。女に限る。円を描いて中にウフツカサが居り踊る。草のカムズバキの草(から味のある草)を頭にかぶり踊
る。
こもり御願がすんで御嶽を巡る時 ウルウルと言って先ばらいが警戒してその後から神人が来る。狩俣には高
天原といふ地名の處があるといふ。スドウクンのカム(立ちふさがってゐたものがのくといふ神) 断食が原則
この神に見つかったら死ぬ(略)
カムズオリとカムズアガリ
七日こもるとカムズオリ(神子降り)があり天候が悪くなってくる。又七日行ってこもるとカムズアガリとな
る。(略)」
このノート欄外上部にある柳田の朱の書き込みに
「出雲デ「カモス」の社 神魂トカク」とあり、「△」符号がつけられている。
」