氏の単著としては二冊目の書です。
氏が、若い時から(今でも若いですが)、少年の時からと言ってよいかと思いますが、城マニアで
時間があれば城跡を訪ねていたとは聞いていました。
しかし、こんな首塚マニアとは知りませんでした。
マニアとは失礼な言い方かもしれませんが、何かひとつのことを成し遂げるにはマニアでなくてはならないという尊敬の表現ですのでお許しください。
なぜ「首塚・胴塚・千人塚」を追い求めてきたのか。
氏は、「はじめに」で明確に次のように語っています。
「私の関心は、(把握しているだけでも沖縄を除いた六百六十五の)塚をめぐる真贋を見極める
ことではない。民俗学者の柳田国男は、そうした特定の人物・場所・事件の関連性を説明する伝承
=伝説の要点を「人が之を信じて居るといふことに在り」と指摘した。たとえそれがニセモノで
あったにせよ、真実であると信じている人々の心情こそが問われるべき課題だというわけだ。
本書を貫く問題意識も、まさにこの点に集約される。なぜなら、塚の歴史的真贋がどうであれ、そのいわれを説く伝承からは、これを語り伝えてきた人々の、過去の戦死者に対する想いを汲みとることができる
と考えたからである。」
問題のとらえどころとして見事です。
本書を読み進めると、なるほどと思わせる叙述も数多くあり氏の熱情も伝わってきます。
とくにおもしろいのは、第7章の「「近代」への産みの苦しみ」の章です。
自分の好きな人物の項から読み進めるのもよいでしょう。
残念なのは、「終章「客死」という悲劇」の最後の項「通底する心意」がここからというところで
閉じられていることです。
もっと展開してもらいたかったと思うのは私だけではないはずです。
次の著に期待します。
期待といえば、日本地名研究所にかかわっている私とすれば、「首塚」「胴塚」の呼称と地名
との関係が興味あるところなのですが、室井さん、いつか『地名と風土』に書いてください。