7月8日、飯田で開かれた講演学習会で、「柳田民俗学と地名研究 ー「矢立」と「耳取」を例に今後の課題を探るー」のお話をしてきました。
柳田の地名研究の原点は、布佐の隣村湖北村(現 我孫子市)にある「中峠」という峠をどうして「ナカビョウ」と呼ぶのかという18歳の頃に抱いた疑問にありました。
峠の名前に注目するなかで、「矢立峠」から「矢立杉」、飯田風越山の「矢立木」を追い求め、数々の論考を表していきます。
一方、『遠野物語』の「ゴンゲサマ」の話から、耳取権現、耳塚と関心を深めていくなかで、南方の指摘に屈してしまうという「揺らぎ」も経験していきます。
この二つの事例は、柳田の地名研究を語る上で象徴的で、私たちは、ここから多くのことを学ぶことがてきると指摘させていただきました。
柳田が、飯田風越山の「矢立木」を見たのはいつのことなのでしょう。
『信州随筆』に「矢立の木」が入っています。ぜひ読んでみてください。
終わってから、伊那谷地名研究会の方たちの話をじっくり聞くことができ、引き受けてよかったと思いました。
大鹿村の「矢立木」、高野山の「矢立杉」の写真もいただきました。
感謝です。