これも前と同じく川島健二氏からのご教示です。
額田巌著の中公新書『結び目の謎』に次のような文がありました。
「柳田先生の思い出
それは忘れもしない太平洋戦争もおしつまつた頃、すなわち昭和十九年十二月三十日のことであった。人の紹介があったのか、あるいは直接お手紙を出したのか、今となってははっきりしないが、私の「結び」の研究について、柳田国男先生のご意見を伺うため成城のお宅を訪問することになったのである。」
この頃の年譜事項は、『炭焼日記』からの抜き書きと書簡情報だけでよいと思っていたのは浅はかでした。それも手軽に読める新書にあったとは、びっくりというより反省でした。
こののことを次のように書き込むことにしました。
「一二月三〇日 「結び」の研究をしている日本電気の研究所員、額田巌が「うの花」を持って訪ねてくる。壱岐で見た結び紐の例をあげながら、協力を約束する。額田が集めた資料を失うことがないよう、写しをとって二か所に保管しておくことや、早く出版した方がよいと述べる。」
写しをとって二か所に保管すべきと語るのに柳田は「不慮の災害」と言いますが、戦災、空襲を指しているわけです。