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「柳田国男年譜」補遺 大正2年4月19、20日の足利遠足会のこと

「年譜」発表後すぐ、常民大学の古くからの友人、群馬の川島健二氏からいくつかの教示が届きました。

その一つ、柳田研究史の中でも話題となることが多かった「考古学会の遠足会」についてを紹介します。

2019年発表の拙稿「年譜」

「大正2年4月19日

土曜日のこの日、足利方面への一泊二日の考古学会遠足会に参加する。鑁阿寺、長林寺、蓮台寺と古墳を見学し、足利館に泊まり、夜の小講演会に参加する。参加者は、経済学の中島信虎や言語学の後藤朝太郎らで、足利考古学会の丸山太一郎や鑁阿寺住職の山越忍空らの世話になる。

 同 20日

足利学校の見学のあと、佐野から堀米犬伏の町を廻り、道祖神を見たり、昔の瓦竈跡を見たりして興味がわく。新村出宛てに絵葉書を出す。」

この私の作成した「年譜」は、柳田の「考古学会遠足会」や新聞記事からの情報を入れましたので従来のそれより少しは詳しいものになっていました。

 しかし、川島氏から届いた資料からさらに詳しくわかり、写真までがあったのです。

資料とは、『丸山瓦全 とちぎの知の巨人』(竹澤謙、2018年8月、随想社。下記の記念写真は本書より)で、これによって分かったことは以下のようなことでした。

・この足利研究旅行決定までの経緯

・当日の参加者44人。長林寺直行組と古墳見学組に分かれ5時に長林寺に合流。

・夜7時から、足利織物同業者組合にて講演会。講師は後藤朝太郎らで柳田も「地方諸君に対する希望」を話す。聴衆二百数十名、閉会10時。

またここに『考古学雑誌』(3-10)も紹介されていて、柳田がほぼ中央に写っているいる集合写真や参加者名簿が掲載されていたことがわかりました。

参加者のなかに山中笑や尾佐竹猛がいたこともわかったのです。

この条を大幅に修正、加筆すると以下のようになります。

「大正2年4月19日

土曜日のこの日、以前から箱根にするか厚木にするか検討していた考古学会の研究旅行が、

丸山太一郎(瓦全)の努力で足利と決まり、四十四人もの参加者と一緒に館林に向かう。参加者の中には山中笑(共古)や尾佐竹猛、中島信虎らがいる。館林駅で丸山ら、足利駅で山越忍空らと合流した後、二班に分かれて調査する。5時に長林寺で合流し、7時からの足利織物同業者組合において開かれた講演会で、「地方諸君に対する期待」を講演する。他の講師は、後藤朝太郎、関保之助、高橋健自らで二百数十名の聴衆者が集まり、10時に閉会となる。

同20日

町長川島平五郎の計らいでの調査の後、鑁阿寺で木村貞吉や住職の山越忍空の説明を聞く。足利学校の見学の後、佐野に向かい犬伏町の米山古墳で記念写真に納まる。道祖神や国分寺瓦窯跡を調査し、瓦片を採集するなどして興味をもつ。」

このように今後も新しい追加事項が増えてくることでしょう。

このブログがその機運の一助となることを期待するものです。