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シリーズ/「柳田国男」を尋ねる①菊池市 採訪
「菊栄館」があった!

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現在、倉庫となっている菊栄館と思われる建物の内部

昨年の夏(2010年8月)、毎年開かれている「柳田国男の会」の集まりが、宮崎県椎葉村で行われました。

6日から8日までの二泊三日でしたが、せっかくの九州なので、柳田の歩いたコースの一部でもと、一日前に九州に入りました。

遠野で知り合った菊池市の市会議員、隈部忠宗さんが、九州に来る時は、声かけてくださいと言ってくださったのを思い出し、菊池市に寄ってみようと思ったのです。

事前に、隈部さんに、柳田が歩いたコースを知らせ、見てみたいこと、調べたいことをお知らせしました。お茶づくりや「井手」とよばれる水路、菊池神社の社務所日誌の閲覧などを頼みました。5日、柳田国男研究会の友人、高橋治さんと二人で、熊本空港から菊池市に向かうと、待ち合わせた市役所の玄関には、市の職員の方たちも出迎えてくれて、なんと、市のマイクロを用意してくださっていたのです

 市の国際交流課の村田義喜さんの運転で、同課の井芹統子さん、隈部さん、観光ボランティアで

語り部の原保奈美さんの案内で、柳田の歩いた道を回りました。車の中での話で、原さんは、遠野の語り部、工藤さのみさんの大の親友ということがわかり、「菊池」のご縁とはいえ、世の中狭いものだと驚きました。

星原茶の産地、原地区の井手、菊池神社と見学して、市内に入ったところで、隈部さんから、菊栄館の本店と支店の二カ所場所がわかったと告げられました。

故牛島盛光先生や故江口司さんの調査でも、菊栄館はないとされていたので、その跡地だけでも写真に撮れればいいと思い、その場所に向ってもらいました。

あの暑い夏の午後、疲れてきたこともあって、車から降りるのもおっくうになってきたところでしたが、せっかく場所がわかったので、カメラ片手に車を降りました。

さすが、市会議員の隈部さん、フットワーク軽く、跡地にある種苗店の中に入り、ご主人に趣旨を説明してくださいました。

ご主人いわく、「私は婿養子なので、昔のことはよくわからないが、そんなことなら、ちょっと裏の倉庫を見てみますか。」ということで、案内された裏の建物の中に入ってびっくりしました。

靴のままあがったのですが、階段の手すり、二階の廊下、襖、床の間、長押と、どれも昔の旅館を思わせる風情のある佇まいであったのです。

私も高橋さんも、「ここ、柳田がさわった手すりだ。」と興奮し、市の方々も、種苗店のご主人も、ここが、その昔、旅館であったとは知らなかったのです。

ご主人の話では、私の代でこの建物は終わるでしょうとのことで、またまた話は、盛り上がりました。

建て替えがあったのかの調査もしなくてはなりませんが、間違いなく、百二年前、柳田が泊まった「菊栄館」がそこに建っていたのです。

夜、都市間交流の会の会長米村達郎さんにも加わってもらっての懇親会の席上、またその話で賑やかに盛り上がったことは、ご想像の通りです。

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柳田も見たと思われる部屋の明かりとり

「行ってみないとわからない。」というのが、このシリーズ一回目の結論です。