作新学院大学での授業がスタートして一か月がたちました。
前期は、「日本人の精神史」と小学校教員養成「社会科教育法」の二コマで、一週間に二日、宇都宮まで通っています。
慣れてきたところで、報告の第一弾として、「日本人の精神史・『遠野物語』を読む」の紹介をします。
以下は、「『遠野物語』を読む」の授業シラバスです。
若い世代がどのように反応してくれるのか、期待と不安がありましたが、素直でまっすぐな学生さんばかりで、いい刺激を受けています。
第一講は、「柳田国男の人と学問」と全体像をラフスケッチし、授業後に書いてもらった「感想と疑問」を見てびっくりしました。
「ヨーロッパで、国際的な学問の刺激を受けて帰ってきたのに、なぜ、一国民俗学にこだわったのか」という大問題や、「少年期の乱読体験がなかったら、柳田の人生はどうなっていたのか」「なぜ、兄弟みんなが有名な人となり活躍できたのか」といった素朴な疑問から、「兵庫生まれの柳田がなぜ岩手の遠野の物語を書いたのか」といった次の講義につながる疑問が書かれていたのです。
第二講は、その疑問を受けて「柳田国男はなぜ『遠野物語』を書いたのか」です。
明治41年の九州視察旅行と水野葉舟が佐々木喜善を連れてきたことを中心に話したのですが、ここでも、「三人の出会いがなかったら『遠野物語』は生まれなかったのか」とか、「明治のこのころの時代の様子をもっと知りたい」などの感想を書いてくれました。
第三講は、昔も今も変わらずにある遠野の地理や風土の紹介と、そこに産まれた佐々木喜善についてです。
三陸沿岸と内陸を繋ぐ交通の要所としての遠野の話を、被災地への後方支援基地として活躍している様子を伝えながら、1と2の本文を読み、遠野盆地をイメージしてもらいました。
一番の関心は、今の「遠野まごころネット」の活躍だったようです。
そして、昨日は第四講。
序文をグループごとに朗読し、キーワード・キーセンテンスを探すことから始めました。
「佐々木鏡石君より聞きたり」
「感じたるままを書きたり」
「願わくは これを語りて平地人を戦慄せしめよ」
「目前の出来事なり」
「現在の事実」
そして、最後に、また小グループに戻って、「平地人を今の自分たちの言葉に言い換えてみたら、どんな人々なのか」を話し合って発表してもらいました。
私のこの三年間のテーマ「平地人とは誰か」を、若い感性で考えてもらいたいと思ったからです。
「伝承や伝説を信じない人々」
「山神や山人の話を信じていない人々」
「平野にすむ人」
「村に住む人」
「日本人」
なかなかするどい視点です。
そして、話し合いや、私の注文も入れてもらって、
「伝承や伝説、山神や山人などの眼前の現実にある話を信じようとしない人々」
「後から日本に移り住んできた人々」
と結論づけました。
私は、日本の近代化の波に抗した、愚鈍なる精神への切っ先鋭い刃としての書として位置づけたかったのですが、難しい問題に答えてくれた学生さんたちに拍手です。
私なりの反省は、具体的な話を読まないで「平地人とは誰か」を考えてもらったのは少々無謀だったかなということです。
しかし、だからと言って、京極夏彦の『遠野物語remix』(角川学芸出版)のように、ズタズタにしてしまうのもどうかと思うのですが・・・
没後五十年、著作権が切れたという現実です。
このへんの論争が、これから起こるとよいと思いますが・・・
そういえば、このことを学生さんたちに考えてもらうことを忘れていました。
また近いうちにご報告いたします。